森のたのしみ

奥本大三郎の“虫の目エッセイ” 第一弾 丹沢編

一、 雨がいいか、石油がいいか

もうだいぶ古い話だが、石油ショックの頃、アラブの国から偉い人が日本に来た。ところがあいにく日本は梅雨で、毎日雨が降り続く。お相手をした日本の商社マンが、これはまたいかにも日本人らしく謝った。

「毎日雨ばかりですみませんねえ。何しろ日本はこういう雨の多い国でして。そのうち本格的に夏になると晴れるんですがね」

すると、相手は怪訝な顔をして、こう言ったと言う。

「なにを言うんです。水がたっぷりあって、いいじゃありませんか。わが国には石油はあるが、飲むわけにはいきませんからな」

—なるほど、そういう考え方もあるか。人間が生きて行く上で、水と石油、どっちが大切かと言えば、それはもちろん水だ。アラブの国々のみならず、アフリカにしても、中国にしても、雨が降り、清流が流れて、綺麗な水が豊富にある日本のような状況は羨ましいことであろう。水道の蛇口をひねれば、透明な水がじゃーっと出る。しかも細菌による汚染とか、石灰分とか、体に有害な物質のことなど、誰も心配せずにそれを飲んでいる。

そんなこと当り前だと言うだろうけれど、それは世界の常識ではない。水道の水をうっかり飲めばたちまちアメーバ赤痢だかなんだかに懸って、ひどい下痢が続くというようなことが熱帯地方では当り前だし、花の都パリーに住んでも、水道水でお湯を沸かしていれば、薬缶の内側に白い石がこびりつくのを見てぎょっとするであろう。あちらでは、地下鉄の通路や公園に撒く水などには、改めてnon potable(ノン・ポターブル 飲めません)と書いてある。つまり、飲み水に使えるような水は貴重なので、使い分けているのである。

タイだったかラオスだったか、水でひどい日に会ったことがある。空港でバリ島行きの便を待っていると、突然、便意を催した。それも緊急の、待ったなしのやつ。将棋で言えば、王様の目の前に香車がつきつけられたような、じりじり、ひりひり、直腸から肛門にかけて、これ以上回り道も何もない最短距離の便意の直撃である。大きなスーツケースを抱えてたったひとり、これを放ったらかしにすれば無くなるだろうし、空港といえども便所は汚いし、あれほど困ったことは無い。水には気を付けていたつもりだったが、その前夜、つい油断して、ウイスキーのオンザロックを飲んでしまったのだ。原因はあのときの氷だ。それしか考えられないと思った。

中国でも生水は飲めない。かならず沸かしてから飲む。水資源は豊富ではないようで、黄河の上流地方に行ってみると、季節にもよるのであろうが、乾いた広い河原の真ん中に細い流れがあるだけであった。仕方なしに地下水を盛んに汲み上げているのだが、塩分が上がって来て困っているという。

アカアシクワガタ:腹側にひっくり返すと肢の根元が赤い。少し標高の高いところに住むクワガタ。ヤナギの木などで発見される。

マダガスカルの首都では、街一番の高級ホテル、ヒルトンで、浴槽にお湯を張ると、底にとろりと細かな黄色い泥が溜まっていて、これを上手に使えばいい焼き物が出来るかと思った。水道があるのはいい方で、ラオスでは、やはり最高級のランサーンホテルでも、浴室には水甕がおいてあるだけ。その水を柄杓で掬ってかぶるのであった。夜は停電で、蝋燭の明かりを頼りに水を浴びたが、翌朝起きてみると、甕の中にはボウフラがいっぱいいた。「ボウフリは蚊になるまでの浮き沈み」という江戸時代の川柳を思い出して、久しぶりにその姿に見とれたが、道理で昨夜蚊が多かったはずである。それにしても、夕方市場を見に行った時、町はずれのどぶの臭いのする川で若い女の人が水浴びをしていたのには驚いた。

日本は水と湿気の国で、海苔の缶、お茶の箱、おせんべいの包みにも工夫が凝らされているほど湿度が高いけれど、これほどの水の恵みを享受している国民は世界中にそんなにいない。ありがたい、まさに豊葦原瑞穂の国なのである。

奥本大三郎

ボードレール、ランボーなどの象徴派詩人の研究を専門とするフランス文学者。埼玉大学教養学部名誉教授、大阪芸術大学文芸学部教授。幼少より虫を愛好し、日本昆虫協会会長、日本アンリ・ファーブル会理事長、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」館長を務める。1995年「楽しき熱帯」でサントリー学芸賞受賞。サントリー世界愛鳥基金選考委員にも名を連ねる。

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