【第43回サントリー地域文化賞】文化による戦後復興を目指し誕生した地方オーケストラの草分け「群馬交響楽団」(群馬・高崎市)
「群馬交響楽団」は、戦後の荒廃の中、文化を通した復興を目指し誕生した日本初の本格的な地方オーケストラです。75年以上にわたり地域と日本の音楽文化の発展に貢献してきました。さらに、昨今のコロナ禍における創意工夫を凝らした挑戦が高く評価され、「第43回サントリー地域文化賞」を受賞しました。
■「サントリー地域文化賞」とは?
※写真は、2019年度の様子
サントリー文化財団が、地域の文化向上と活性化に貢献した個人や団体に顕彰する「サントリー地域文化賞」。音楽、演劇、美術、歴史・伝統継承、国際交流、コミュニティ活動などを対象に毎年評価・顕彰を行い、1979年の創設以来、本年度の受賞者を加えると230件を顕彰、受賞者は全都道府県にわたっています。第43回となる今回は、群馬県高崎市の「群馬交響楽団」を合わせた5つの団体が受賞しました。
■「群馬交響楽団」の歴史
「群馬交響楽団」は、1945年11月に戦禍をくぐりぬけてきた若者たちが文化国家の建設を掲げて、群馬県高崎市にアマチュア楽団を創設したことに始まります。戦後の荒廃の中、地方都市から文化を通じた復興を目指す壮大な挑戦が幕を開けたのです。1947年にプロとしての活動を開始し、定期演奏会のほか「県内のすべての子どもたちに生の音楽を届けたい」という想いで県内の学校を巡回する「移動音楽教室」など地道な活動をスタートさせました。前年度末までに延べ642万人を超える子どもたちが観賞しており、まさに日本におけるアウトリーチ活動の先駆と言えます。
発足当初は、存続の危機に陥るなど道のりは険しいものでしたが、1955年に「群馬交響楽団」をモデルにした映画「ここに泉あり」で全国的に注目されるなど徐々に軌道に乗り始め、1961年には高崎市が建設した群馬音楽センターを本拠地として活動の幅が広がりました。1981年からは、県の支援を得てさらに活動が発展し、1994年には欧州4か国を巡る海外公演を成功させました。さらに、2001年には日本の音楽業界を牽引しているとして文化庁の「芸術創造特別支援事業」支援団体にも指定されています。2019年からは高崎芸術劇場に本拠地を移し、ますます充実した活動を行っています。
■「オーケストラをもっと身近に」「県民の心に潤いを」が合言葉の「移動音楽教室」
現在、「群馬交響楽団」の稼働日数は年間200日を超えています。「オーケストラをもっと身近に」「県民の心に潤いを」を合言葉に、定期公演以外に、地域に根ざした活動に注力。県内各地に音楽文化を広めるため各市町村のホールで演奏会を開催、地域の施設へのアンサンブルの派遣なども行っています。
また、小・中・高校向けの移動音楽教室、幼児移動音楽教室、小中学生向けの楽器セミナーなど年に130回を超えるアウトリーチ活動も実施しています。その結果、県内の小中学生は3年に1回は必ずオーケストラを聴くという群馬県独自のシステムを定着させました。こうした長年にわたる地道な活動により、県民からは「群響」の名で親しまれていて、有志によるファンクラブ「群響を応援する県民の会」や「群馬交響楽団合唱団」が結成されるなど、地域住民の生活に溶け込み、地域と一体となった活動を続けています。
■コロナ禍での活動
2020年は、新型コロナウイルス感染拡大により演奏会はおろか集合練習さえままならない状況に陥りました。しかし、そんな時だからこそ音楽で世の中を元気にしたいと、演奏動画のインターネット配信「おうちで群響」に挑戦。毎日欠かさず更新し、群響ファンを励まし続けたのです。楽団員49名による「八木節」や県民等とコラボした「ラデツキー行進曲」などのリモート演奏は好評を博し、再生回数は12万回を超えました。さらにDVD教材の制作にも初挑戦し、県内の小中学校で教材として活用されています。
今後は、これまでの歴史や伝統を守るに留まらず、コロナ禍での経験を活かして、新しい試みにも積極的に挑戦し、活動のさらなる飛躍・発展が期待されています。
これからもサントリーは地域文化の発展を応援していきます!
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▼関連リンク
・サントリー文化財団「地域文化賞」のサイト
・第43回 サントリー地域文化賞決定 (ニュースリリース)